PNdB
PNdBについて
 
PNdBについて
PNdB活動履歴
PNdBの作品
PNdB連絡先
日本語 English prev next
 PNdBとは、percieved noise dicibel(知覚騒音レベル:ある環境に含まれるノイズのレベルを測定する際の単位)を意味する。私達はこれを「知覚・認識が成り立つ際の不確定要素」と読み換えグループ名とした。
 私達があるものを「見る」際、同時にその環境に含まれる他の情報を捨象ないしはマスキングすることによって、はじめて「見る」という知覚・認識が成り立つと言える。いわば「見る」ことが「図」として浮かび上がり、他の知覚は「地」としてその背後に眠りこむのである。しかし、知覚体験の総体としては、その時、私達は同時に聴き、嗅ぎ、触れてもいる。「見る」ことの背後に退いた他の知覚は、「知覚・認識が成り立つ際の不確定要素」として、「見る」ことに連関しているのである。だが、これは、一般に考えられるように、それぞれ独立した諸感覚が連合して働いているということではないのではないか。そこで、PNdBは、知覚に関して次のように考えることから出発する。
 知覚とは、われわれとものとの関わりのレイヤーの総体である。すなわち、いわゆる諸感覚を、器官としてではなく、ものとの関わり方の一定の諸レベルとして捉えるということである。
 例えば、色には「みえる」「みる」「におう」「かぐ」「きこえる」「きく」などの関わり方のレベルがある。それらの総体が色なのであり、「みる」ということは、われわれと色とのかかわりの、ひとつの働きかけのレベルのことなのである。同様に、音にしても「みえる」「みる」「におう」「かぐ」「きこえる」「きく」などといった関わり方のレベルがあり、そのレイヤーの総体が
音であり、「きく」ということは、われわれと音とのかかわりの、ひとつの働きかけのレベルのことを言うに過ぎない。匂いについても、「におう」「かぐ」「きく」……という関わり方のレベルがあり、それらのレイヤーの総体が匂いである。すなわち、われわれはあらゆるものに対して「みる」「きく」「かぐ」……という働きかけが可能なのである。「きく」や「みる」や「かぐ」は、知覚の全体を特定の領野(視覚、聴覚、嗅覚、……)に分化することではなくいわば知覚の全体を各々のレベルにおいて展開することなのである。
 これらの知覚の諸レベルは、ときにはたがいに混交したり、浸透しあったりするが、これは「諸感覚」が「連合」しているのではなく、世界との関わりのレイヤーの総体が立ち現れているのだと言えそうだ。とすれば、われわれとものとの関わりにおいて、様々な知覚や働きかけのレイヤーが特定の感覚器官に分化されることは、世界そのものの固定化なのではないか。逆に、特定の感覚器官に分化されない知覚の方法、世界との関わり、認識のダイナミズムは、ある希望のビジョンを体験することでもあろう。「知覚・認識が成り立つ際の不確定要素」の側から打ち寄せる希望のビジョンにみみをすまし続けること。PNdBは、このことを基本として、世界そのもの(レイヤーの総体)をダイナミックで流動的な知覚として体験する契機となるインスタレーション、インターフェイス、イベント等の「知覚体験型作品」を構想している。
 PNdBは、基本的には津田貴司と松田文によって運営されるが、作品ごとにPNdBに間接的に関わるものも重要視している。その際にも役割分担は設けず、知覚をめぐるワークショップやセッション、ミーティングを主軸として製作を行っている。これまでに発表した作品『たそわれ』は、時間・空間の認識や身体の在り方の溶融、自他境界の相互浸透を主眼においたインスタレーション、『マーキング・イベント』は、風景知覚を変容させることに焦点を当てた体験型・参加型のイベントである。『Dual Sight』および『Liquid Sight』は、ビューワーを装着して知覚と身体の変容を体験することを意図したシリーズと言える。今後、「きく」ことをテーマとした体験型インスタレーションを製作する予定である。
prev go to Top next
(c)2002 PNdB. All rights reserved.